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Aqua Timezという青春

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自分の青春時代に寄り添ってくれたアーティストが、また一つ終わりを迎えた。

 

Aqua Timez

 

2003年のバンド結成から15年間。

まだ誰もがCDを買っていた時代から、CDが売れなくなった時代へ。

ガラケーからスマホの時代へ。

平成最後の秋、目まぐるしい時代の移ろいとともに生きてきたそのバンドは、七色の輝きに包まれながら幕を閉じた。

 

 

2018年11月18日、横浜アリーナにて開催されたAqua Timezのラストライブ、「last dance」に参加した。

彼らのライブに参加するのは、2014年3月にZepp DiverCityで行われたFC限定ライブ「The FANtastic Tour 2014」以来。

4年半ぶりということもあり、開演前は高揚感に心を弾ませていたが、同時に、"その時"が来てしまうことに対する不安感のような感情も入り混じっていた。

 

 

開演時刻。

連番だった妹と、1曲目の予想をしていたのだが、その予想はあっさり裏切られることになる。

 

1曲目に演奏されたのは「上昇気流」。デビューミニアルバムの曲だった。

そのイントロが耳に飛び込んできた瞬間、脳内時間が中学時代にトリップした。

 

正直、あまりいい思い出のない中学時代。でもずっとそばで寄り添ってくれていたのは、苦悩を肯定する彼らの言葉とメロディ。

MCでボーカルの太志が言っていたように、彼らの音楽には飛び抜けたカリスマ性は無いかもしれない。しかし、多感な時期を生きていたあの頃の自分にとって、すべてを包み込んでくれるような優しくまっすぐな言葉は、強い味方だった。

 

メドレーで披露された「一瞬の塵」は、2008年に地元新潟で生まれて初めてライブというものに参加したその日、1曲目に聴いた思い入れの深い曲。

ラップ調のメロディを歌いこなすのに相当練習したなあ…。もちろん今でもそらで歌える。

 

一曲一曲、披露されるたびに、曲のリリース当時自分が置かれていた環境や、感情や、情景が一緒についてくる。そうやって一つ一つ青春を回顧しながら、優しい記憶も楽しい記憶も悲しい記憶も全部まとめて思い出として噛みしめる。そんな空間だった。

 

ずっと淋しかった ずっと独りだった

そういうものだと 諦めかけていた

 

後ろばかり見てたら明日が哀しむから 人は前に進むしかないんだよ

 

君を独りにさせようとする 言葉なんか聞かなくていいんだよ

音楽を聴こう 歌を歌おう 思ったよりこの星は淋しくないはず

 

 

自分と同年代の人であれば、どんな形であれ、青春時代にAqua Timezの音楽に触れた人は多いのではないだろうか。

 

ライブ開演前、印象的な出来事があった。

Twitterでつながっていたとある声優ファンの知り合いの一人が、自分と同じく彼らのラストライブに参加するために横浜アリーナに来ていたのだ。

ペンライトを振り回すようなオタクライブ現場で知り合ったその人が、青春時代を回顧しに、Aqua Timezというバンドのライブに参加しに来ていた。

歳も違えば生まれた故郷も違う。放課後の教室も違えば走った運動場も違う。でも同じように、彼らの音楽がそばにいる青春を生きていた。その事実に、なんとなく嬉しくなった。

 

ラストライブのラストは「虹」で締めくくった。

 

「最後は思い切り明るい曲で」という太志の言葉に、これは決して終わりを哀しむライブではなく、未来を見据えこの現実を踏みしめるための、昇華的なライブであることを再認識した。

 

大丈夫だよ 見上げれば もう

大丈夫ほら 七色の橋

やっと同じ空の下で 笑えるね

 

彼らに教わったのは、どんな自分も肯定してあげるということ。

自分が哀しむところを、自分に見せないように。

 

終わりの実感が無いのは、もしかしたら彼らの音楽がこの先の人生もずっと、自分の中で生き続けることを確信しているからかもしれない。

 

音楽を聴こう。歌を歌おう。

音楽はいつだって自分の味方だ。

 

「ここにいる全員が味方。全員が味方ってことは、敵がいないってこと。敵がいないってことはつまり"無敵"ってこと」

 

「でも"無敵"っていうのは"強い"ってことじゃなくて、弱くても、すごくなくても、生きていていいんだと思えること」

 

 

Aqua Timezの音楽は、確かに自分を"無敵"にしてくれた。