DEFRAG LOG

断片化した思考を整理する

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Blues on the run


自分が彼らと出会ったのは小学校高学年の頃。

 

「等身大のラブソング」という曲が朝の情報番組で大フィーチャーされていたのを今でも覚えている。

当時は「いい曲」というよりは「耳に残る曲」としてなんとなく記憶していたように思う。

 

 

 

いつの日からか、母親が家で彼らのCDを流し始めた。

 

我が家は基本的に無音が嫌いだったので、常にラジカセからは流行りの曲が流れていた。自分にとっては、それが当たり前の環境だった。

 

能動的に音楽を聴く習慣がなかった当時の自分は、必然的に彼らの音楽を毎日聴いて過ごすことになった。

 

「等身大のラブソング」は、彼らのインディーズデビューミニアルバム「空いっぱいに奏でる祈り」に収録されている。

 

あのアルバムを何周しただろう。

もう思い出せないほど何度も何度も聴いた。

 

最初はBGMとして聴いていたけれど、そのうち、彼らの紡ぐ音や言葉に惹かれるようになっていった。

 

今思い返すと、このアルバムは全体的にとにかく暗い。人生の暗の部分、絶望や哀しみを映し出したような歌詞がてんこ盛りである。

(一躍彼らを有名にした「等身大のラブソング」は、このアルバムにおいてはかなり浮いている。)

 

 

ちょうど同じ時期、自分は人との接触を自ら閉ざしていた。

 

音楽の良し悪しなんかよく分からなかったあの頃の自分が、それでも強く彼らの音楽に引き寄せられたのは、そんな時期にあったからこそ、その暗の部分に共鳴していたのかもしれない。

 

CDリリースに合わせて、家で流れる曲も更新されていった。

 

シングルがアニメ映画の主題歌に起用されたり、ドラマの主題歌に起用されるようになった。

 

その頃になると、明確に彼らの音楽性や歌詞の世界観に共感を覚えるようになっていた。

 

そのバンドのフロントマンは決して飛び抜けて高い歌の技量があるわけではなかったが、哀しみや挫折からの奮起、そしていつか希望が訪れるという力強いメッセージを語りかけ続けた。

 

 

自分にとって一つの大きな人生の転機が訪れた。

生まれて初めて、バンドのライブというものに参加する。

それが彼らの3度目のライブツアー、「evergreen tour 2008」だった。

 

初めて味わうライブ会場の雰囲気に、当時中学3年だった自分は終始夢見心地だった。

 

オープニングを飾った「一瞬の塵」のイントロ、そして開口一番オーディエンスを煽る「ついてこい」の一言。

その鮮烈な幕開けはあまりにも眩しかった。

 

 

時を同じくして、歌うことが好きになった。

 

自分を表現すること、感情を発露させることが極端に苦手だった自分が、初めて自分を強く表に出せるようになったのだ。

 

音楽を好きになって、ようやく、少し自分と向き合えるようになった。

 

 

中学校を卒業してからも、ツアーに足を運んだり、CDを聴いたり(高校に入って初めてiPodを買った!)、カラオケで彼らの曲を歌ったりした。

 

そしてこの時期に、他人との関わり方について、ようやく自分なりの解を見つけられたような気がする。

 

その頃には、彼ら以外のアーティストもたくさん知り、色々な曲を聴くようになっていた。

 

 

大学に入学すると、接触する情報量が急激に増えた。

 

数多くの媒体に触れ、音楽に触れ、作品に触れ、人々の考え方に触れた。

 

すべてが自分にとっての刺激になり、その度に少しずつ自分という存在を認められるようになった。

 

 

そして気付いたら、彼らの音楽をあまり聴かなくなっていた。

 

 

嫌いになったわけではなく、たぶん、精神的な部分での共鳴が、幼かった頃よりも弱くなってしまったのだと思う。

 

 

大学2年の春に、妹に誘われて、Zepp DiverCityで行われたファンクラブツアーに参加した。

 

そこで彼らの生の音楽に久々に触れて、自分があの頃の感情を失いかけていたことに気付かされた。

 

 

感情は生モノ。

 

その時その時に触れたものに流されてコロコロ変わってしまう。

 

しかし大人になって、良くも悪くも感情をコントロールする術を身に着けてしまったために、自分にとっての音楽は感情のそばに寄り添うものではなくなってしまったのかもしれない。

 

大人になって、器用になりすぎてしまったのかもしれない。

 

 

でも、彼らの音楽は、不器用で不安定な自分が精神的に自立するまで、いつもそこにあったし、支えてくれた。その事実は変わらない。

 

だから、たとえ彼らの活動が終わっても、その音楽が消えることは絶対にない。

 

 

今はとにかく、彼らの鳴らす最後の音を、この耳で聴き届けたい。

 

 

P.S.

彼らには感謝しかないので最後のライブはなんとしても参加します。